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最上級クロケット&ジョーンズ 参考SIZE;ジョンロブ7-7.5,オールデン7.5-8,パラブーツ7-7.5,エドワードグリーン7-7.5,jm weston ウエストン

拍賣 時尚流行 男鞋 其他

商品説明

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いつもご覧頂いている皆様、大変お待たせ致しました。

今回は【c7ver00】【pmpmyj】の2アカウントで、それぞれ4足ずつ、計8足出品致します。

約1.9万字の新コラムも掲載しておりますので、ご覧頂けますと幸いです。それでは、今回もよろしくお願い申し上げます。


タイトル中参考サイズとして、定番モデルやラストから、この出品靴のサイズ感に近いものを挙げています。

あくまでも参考になりますので、詳細につきましてはご質問頂けますと幸いです。

なお、健康上の理由やコレクション目的等で、幅広いサイズの靴を所有しておりますので、その他の出品も是非ご覧ください。




―― コレクションを手放し、思想を残す。



わたしは、著作家・元スタイリストの革靴収集家でございます。


約50年世界を巡り、ストックは1,200足。


世界最高峰の靴職人たちの技術・情熱が、何十年もかけて結晶した我がコレクション。


これを残したまま、この世を去るわけにはいかない。


朽ちさせるわけにはいかない。


そして私は、そこにコレクターとして関わってきた人間として、"結晶" への想いを残さねばならない。



『コレクションを手放し、思想を残す。』


これが私の"終活"。


お付き合い頂けますと幸いです。


なお、現在日本で買えない靴(特にオーダー、ビスポーク、ヴィンテージ)を中心に出品致します。


皆様と同じ立場、履き手の立場の人間だからこそ出来ることを精一杯やりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。










































クロケット&ジョーンズ製


かつて存在していたベンチメイドラインかつ、ブルックスWAM。


ベンチメイドラインは、ハンドグレードよりもさらに有形価値が高く、クロケットのビスポークのクオリティを既成で実現したものと言われている。


またこのラインにおいては、ジョンロブの既成靴も生産された。


ベンチメイドであること、ブルックスWAM(この用語は60s'チャーチのページで解説しております)であること、ヴィンテージであることから、今のハンドグレードと一線を画すのは言うまでもない。


一般的見解では、この期のベンチメイドかつブルックスWAMのクロケットが、クロケット史上最高の出来である。





個別的価値創造、有形価値創造のギルドから。



下記に掲載する新コラム『個別的価値の追求と革靴による至福』において、個別的価値という概念を解説した。


詳しくはコラムの中を見て頂きたいが、個別的価値とは、出荷後の革靴にコレクターの手で蓄積していく価値のことである。


そして、個別的価値は、革靴という形あるものに付与されていくものであるから、有形価値でもある。



ディンケラッカーのページで解説している網状層メンテナンスをはじめ、当コラムで日々紹介している分析・ケア手法、思考、ギフテッド(良き個体)獲得のためのリソース(バイヤー・コレクターとの繋がり)などは、私一人で獲得したものではない。


あくまでも趣味を発端にしたものであるが、われわれは、ギルドを形成して日々意見交換や技術交換等を行なっている。


その中には勿論、パタンナーやデザイナーもいる。



さて、今回の新コラム『個別的価値の追求と革靴による至福』においては、エイジングが進んだ作品をセレクトすると宣言した。


今回は、何年もの間、私と一緒になって個別的価値・有形価値を創造しているギルドの仲間から譲り受けた作品をセレクトしたい。



『有形価値愛好家たちがマクロ創造する東欧世界から』において、われわれは、心から良いと思うモノや良い創造者に『票を投じる』必要があると論じた。


『票を投じる』先としては、当然コレクターもいる。


彼らこそ、革靴による至福のための個別的価値を創造する者であり、彼らに『票を投じる』ことが、個別的価値を愛する革靴文化を東欧の外に広める一手になる。


この考えから、ギルドのメンバーの作品を今回は提示しよう。





靴界のヨハン・パッヘルベル、彼の生んだエイジングの魔力。



音楽に精通していない私のようなものでも、誰の心をも揺さぶるコード進行がある。


その力の理由は、論理で説明することはできない。



この作品を作り上げたのは下記コラムで登場する友人の一人であるが、私は彼を靴界のヨハン・パッヘルベルだと思っている。


なぜかわからないが涙が出そうになる、そんな色彩の濃淡...


彼の履きこんだこの作品を見て、革靴の様相にも、カノン進行同様の黄金律があると知った。



カノン進行とは何か、カノン進行はどう使うのかといったことが説明できるように、エイジングの魔力とは何か、エイジングの魔力はどうすれば生まれるのかは説明できる。


それは下記コラムの通りだ。



しかし、なぜカノン進行が心を揺さぶるのか論理で説明できないように、エイジングの魔力がなぜコレクターの心を揺さぶるのかは論理で説明することはできない。


心を揺さぶるその感覚を何かに喩えて伝えるというのが、説明の限界である。



それを説明するとき、常々私は『吸い込まれる感覚、気が遠くなる感覚がする』と述べてきた。


精緻な彫刻を見ているようであり、美しい蝶や花を眺めているようでもある。



日本で何十万円もするステイタス品も、ジャングルの奥地の先住民の前では、そのステイタス品としての価値を失う。


だが、カノン進行も、芸術品も、蝶も花も、その価値は、日本だろうがジャングルの奥地だろうが、変わることがない。



やはり、革靴のエイジングとは、絶対的な価値の獲得、個別的な価値の獲得にある。


それこそが革靴趣味の神髄である。



何年もの間、現代でも、名だたるミュージシャンがカノン進行を取り入れ、創作活動を行ってきた。


それと同じように、私も彼の作品が生むエイジングの魔力を取り入れようと、靴を愛でてきた。


そして同時に、私自身の黄金律を見つけ出そうと挑戦してきた。



私にとってそうだったように、貴方様にとって、この靴は個別的価値創造の非常に貴重な指針となる。


絶対的価値を生む者になるための、大きな一歩となる。


真の革靴趣味を始めるための、大きな一歩となる。





『個別的価値の追求と革靴による至福』(第1回)





真の靴好き達の言葉、エピソード。



以下は、私が若い頃から親しくしている女性メゾンのデザイナーであり、私以上の靴コレクターの知人による言葉である。


この言葉に強く共感し、私は革靴のコレクションを生涯の喜びとして享受する事を誓った。




レッドタンのビスポークだろうが、ハントダービーだろうが、お金で買えるものであれば、それがどんなに高価なものであっても、惹かれることはない。


ビスポークも既成も飽くるほど買い、もう買うべきものはないからだ。


しかし、それがどんなに安い靴であっても、審美眼に優れたものが秀逸なセレクトをし、何年もかけて愛でた結果、私には出せない "エイジングの魔力" を帯びた靴であれば、私は強い嫉妬を覚える。


そして、ワードローブにまだ不足しているものがあると感じ、急に焦燥感を覚える。



欲しいものをすべて買える状況にあるいま、こういった焦燥感を与えてくれるものは他にはない。


これは、例えば腕時計を集めることからは生まれない感覚であり、革靴収集によってのみ感じられる独特の感覚である。


だから、私は革靴を履いて街に出かけ、人々の革靴を見続ける事をやめることが出来ない。





また、恐縮ではあるが、私が日本で事業をやっていた頃には、いわゆる成功者が集まる社交場に招待される機会が頻繁にあった。


そんな社交場では、何十億も稼いでいる実業家達が新品のロブのビスピークを履いているかというと、実はそうではない。


私もそうだったが、大事な場には必ずしっかりと履きこまれた靴を履いていく。




カッコよくエイジングされた昔の靴を履いている者は、第一印象で、ものを見る目がありそうだなと思う。


少し成功すれば、ロブやグリーンなどは誰でも簡単に買えてしまうのです。


適当にロブやグリーンを履いている人よりも、真剣に考え抜いた手入れを施された靴を履いている人のほうが信頼できる。


高い靴は誰でも履けるが、"本当に良い靴" は選ばれた者しか履けない。


"本当に良い靴" であるかどうかは、ブランドではなく、コレクターによってそこに加えられてきた技術、その技術の背景にある考えで決まる。




この言葉は社交場で意気投合した実業家の言葉であるが、皆さんも似たようなことを何処かで聞いた事があるかと存じます。


雑誌に登場する成功者が皆が知っているハイエンドな装飾品を身に着けるのは、著作物等を売るための広告宣伝のためであり、彼らとて、重要な社交場では、落ち着いていて丁寧に手入れされた装飾品を身に着けているものです。



これらの言葉、これらのエピソードが示すことは何か。


革靴には(その扱い方によっては)お金を出すだけでは決して手に入らない価値が積み重なっていくということである。


裏を返せば、工房から出荷されたときには革靴は全くの未完成状態ということだ。


決して極論ではなく、出荷後の選別・育成の如何によっては、ロブパリのビスポークよりも、リーガルのほうが本当に良い靴になる可能性があるということだ。






靴界へのアサ―ション。



革靴には3つの『差』がある。


人間とサルに『差』(第一の『差』)があり、人間同士の間に才能の『差』(第二の『差』)があり、人間は育つ環境で『差』(第三の『差』)ができることと同じように。



第一の『差』は、モデル間の『差』である。


例えば、パラブーツのシャンボードとウエストンのゴルフの間にある『差』である。


もちろんこれは、どちらが上か下か、という縦の線分で表現すべき『差』だけでなく、革質やラストその他の細かな仕様の違いという横の線分で表現すべき『差』も含みます。


これは当コラム以外の場でも十分に議論されている『差』で、誰でも認知しやすい『差』です。



第二の『差』は、同モデルの個体間に在る『差』である。


つまり、あなたの買った新品のシャンボードと、私の買った新品のシャンボードの間にある『差』である。



そして、第三の『差』は、コレクターによる育成の巧拙の結果生まれる『差』です。


つまり、全く同じ2つのシャンボードが存在していたと仮定した場合、あなたと私が10年履いた結果として、その2つの靴の間に新たに生まれた『差』である。



これら3つの『差』を意図的に優位に取るためには、戦略と戦略に基づく技術が求められる。


そして、その戦略・技術を習得した者は彼にしか作れない一足を生む。


工房から出荷された後、彼の手によって、革靴には新たな価値が積み重ねられていくのだ。


それゆえに、出荷後の選別・育成の如何によっては(第二第三の『差』を意図的に優位に取れれば)ロブパリのビスポークよりも、リーガルのほうが本当に良い靴になる可能性があるのだ。




* 革靴は、工房出荷直後においては全くの未完成である。

* つまり、扱い方によっては、新品時から新たに価値が蓄積していくものである。

* 革靴には3つの『差』がある。

* その『差』を意図的に優位に取るための戦略と、その戦略に基づく技術を有するコレクターによって、価値の蓄積は可能になる。





これらのアサ―ションをご覧になり、現段階では腑に落ちない方もいらっしゃるかと存じます。


大半の人は、革靴は、新品からどんどん価値が落ちるものだと考えているからです。


しかし、それは、価値逓増のためのメソッドを誰も知らないがため、みんな革靴の価値を下げてしまうからに過ぎない。


世の中の大半の靴が価値を逓減させていくから、革靴というものは価値が逓減していくとの一般的見解が成立しているに過ぎない。



かつては、ジーンズも、どんどん価値が落ちるものだと考えられていました。


しかし、正しいエイジングメソッドが認知された結果、価値が逓増するジーンズが世の中に現れた。


そして、ジーンズは価値が逓減するものだという一般的見解は破壊された。


そして今やジーンズの価値は逓増しうるものだと信じられている。


その価値上昇に従って、新品時より価格が上昇することも多々ある。



文化の変容は、小さな点に高感度のアーリーアダプターが終結することで始まるのが常だ。


いまわれわれで、革靴界に小さな、しかし力強い点を打とう。


新たな(日本においては『新たな』と言えよう)カルチャーが、いま始まる。


そして、それこそが、コアな東欧靴界で愛されている革靴趣味の神髄だ。






第二の『差』;同モデルの個体間における『差』



同モデルの靴でも、個体によって革質や造りが違うと聞いたことがあるかと存じます。


これが、第二の『差』、同モデルの個体間における『差』であり、いわゆる個体差のことです。




● 第二の『差』が生まれる原因



革靴というのは、手作業工程(タンニングにおいても)を多く含むものであるし、動物から採れる素材を用いる以上、個体差は必ず生まれます。


時期に応じて、短期でも長期でも個体差は生まれます。


短期で言えば、他の製品(例えば自動車)と同じように、バカンス前になれば何らかの不具合(タンニングの不十分性、縫製の甘さ)を抱える製品が増えますし、長期で言えば、天候や景気の変化で、品質の劣る製品が増えます。


もちろん同時期に生産されたものでも、そのラインに関わった作業者の技術はもちろん、作業時の気分等によっても、個体差が生まれます。


ここまで聞いて、『出荷時に検品が入るから、粗悪なものは市場に流れないのでは?』とお考えの方もいらっしゃっるかと思いますが、後の記述をご覧頂ければその疑問は解消すると思われます。





● 第二の『差』の具体的な内容



第二の『差』(同モデルの個体間における『差』、いわゆる個体差)は、必ずしも新品時に素人(本格靴を買ったことがない人)が見てもハッキリわかる『差』ではない。


大きな傷があるとか、ほつれがあるとか、そういったことでは御座いません。



例えば、革の肌理の具合や部分毎の縫製の強弱の具合の微妙な『差』のことです。


その差によって、履きこんだ時に、メリハリが付くのかが決まる。


『メリハリがある』とは、柔らかくなるべきところが柔らかく、堅く残るべきところが堅く残っている状態のことです。


ジーンズでもハチの巣部分等、負荷がかかる部分だけ柔らかくなっているものが綺麗でしょう。


同じようなもの(革靴であればもっと繊細にそのメリハリが出る)だとイメージしてください。



そして例えば、革の内部の油脂の入り方の具合、革の厚み、染料の乗り方の具合の微妙な『差』のことです。


この差によって、履きこんだ後に色彩の濃淡が綺麗に出るかが決まる。


これもジーンズでイメージすると分かりやすいでしょう。


有色の靴は勿論、黒色の靴でも、グレーのクリームを使えば、実はしっかりと濃淡ができます。



つまりは、個体差とは、新品時の僅かな『差』に、履きこみ後のシュミレートを掛け合わせて出来る推測としての『差』である。


言い換えるなら可能性の『差』であり、分かりやすく言えば将来有望か否かを示す気配のようなもの、ということである。


『このような打ち方でインコースをさばけるならば、この高校球児はプロの変化球にも対応できるだろう』と判断するときにプロ野球のスカウトが感じ取っている僅かな『差』に似ている。




● 第二の『差』を認識する上で考慮すべき事象



前項から分かるように、新品の革靴が有していた個体差は、履きこんで、革靴に物理的化学的な作用が加えられるに従ってどんどん大きくなっていくものである。

物理的化学的な作用とは、例えば、体重をかけて歩行することによる負荷、紫外線による革内部の油脂の色の変化、水分油分の出入り、擦りや傷等。


新品の靴から極々微妙な違いを感じ取って、それにいかなる作用を加えればどう変化するのか分かることが、第二の『差』の把握であり、個体差の把握なのです。


そのためには、同じモデルを複数足、新品から5年10年と履き込む経験を何回も繰り返さなくてはならない。


つまり、演繹的なアプローチではなく、帰納的なアプローチでしか、第二の『差』は把握できない。


『この革質ならばこうなる』という一般命題は存在せず、『この革質ならばこうなった』という実例を何百と集め、それをリソースにして、目の前にある靴の個体差を導き出すように認識するしかない。



すると、経験が浅い者であれば、新品状態において大きな個体差を感じられない。


つまり、同じ靴を目の前に提示されても、経験者と初心者で、見えているものが違うのです。


光のスペクトルのようなものをイメージしてください。


経験者であればあるほど、スペクトルの可視域が大きく、初心者が見えない領域まで認識することができる。




また、第二の『差』(個体差)の認識を阻む事象は、単なる経験不足に留まらない。


出来上がった靴は、小売業者、輸入業者、卸売業者などの手に渡るが、 全ての業者が平等に扱われているわけではない。


古くから取引のある業者、市場への影響力が大きい業者など、重要な業者から順番に出来の良い靴を振り分けていく。


例えば、工房から仕上がった靴を検品において出来栄え(革質・造りの良さ)に応じて、AからFの6グループに分けるとしよう。


すると、本国の百貨店、本国の老舗小売店、本国の旗艦店といった重要度の高いところにランクAの靴が分配されるのです。


そして、相手業者の重要度が低ければ低いほど、ランクEやFに属する低い出来栄えランクの靴を分配するのです。



これは靴にだけ当てはまる事象ではなく、例えばSDカードのような製品にも当てはまります。


並行輸入品はトラブルが多いと言われますよね。



日本で売られている靴を見て、大きな個体差を認識できないのは、すでに出来栄えランクで仕分けされた後の靴同士(つまり同じ出来栄えランクグループ内の靴同士)を比べているからです。


本来、グループFとグループAに属する靴は、一目見てわかるほどの差がある。


しかしながら、振り分け後のグループの中しか見ていなければ、個体差は相対的に小さなものに感じられるのです。


比喩的に言えば、井戸のなかにいるのか、大海のなかにいるのかで見ている景色が違うというわけです。




● 第二の『差』を正しく認識するために必要なこと



真の靴コレクターたるには、同じモデルを何足も育てる経験を積んで、帰納的なアプローチのための実例を多く見る必要がある。


それによって、個体差スペクトルの可視領域を広げていく。


加えて、日本市場に留まらず世界市場から "ランクA" の靴を手にするためのバイヤーや他のコレクター等との繋がりを持つ必要がある。


これらには、もちろん莫大な資金も必要だが、それ以上に並々ならぬ圧倒的な情熱が必要となる。



私は、父親の影響から10代後半で革靴を集めだし、初期のコレクションのエイジングが進んだ20代後半、個体差について如何に無頓着だったかを猛省した。


父親がドイツで買ってきてくれたケンムールと私が日本で買ったケンムール。


新品の時はあまり大きな違いは感じなかったが、ほとんど同じ履き方をし、同じケアを施しているのに、10年後には、月とすっぽんのごとく大きく違う。


この2足を見比べるていると、個体差への意識が不十分なまま費やしてきた何百万円が無駄になったと感じ、強い喪失感を覚えたものです。


この喪失感が、革靴への深い愛に加わって、経験とリソースの圧倒的蓄積にかける情熱の燃料となった。





第三の『差』; コレクターによる育成の巧拙の結果生まれる『差』

価値逓増のメソッド(第二第三の『差』を優位に取るための戦略・技術)





● マンションとモニュメント



貸借対照表上の資産の評価額というのは、その資産の将来の収益獲得能力を表す。


そして、毎期得られる収益に対応させて、その収益獲得の源泉になった資産の評価額(簿価)を償却して費用とする。


そのため、建築物は、月日の経過とともにそして使用に伴って、その評価額を下げていく。


その逓減は、将来その建築物から得られる収益、つまり経済効果が下がっていくことを示している。



この会計上の処理が示すように、一般的には建築物の価値というのは、どんどん下がっていくものである。


新築のマンションであれば家賃を高額に設定できますが、古いマンションであれば家賃を低くしなけばなりませんよね。


このことからもお分かり頂けるでしょう。



さて、世の中の大半の建築物がこのような運命にあるなか、それとは反対に、月日の経過そして使用にともなって価値がどんどん上がっていくものがあります。


それはモニュメント、例えば寺社仏閣である。


寺社仏閣の価値の元は、もちろん単なる古さではなく蓄積されてきた歴史にあるが、一般には古い寺社仏閣ほど価値が生まれる。


よって、寺社仏閣が生む経済効果はどんどん上昇していくのです。


マンションは価値が逓減する一方、モニュメントは価値が逓増する。




● 本来、革靴は、マンションではなくモニュメントである。



第二節、第三節において、革靴は工房から出荷された段階では未完成のものであり、真のコレクターによっては、そこに価値が追加的に蓄積され得るものだと述べた。


第二節に登場した私の友人2人も、この追加的に蓄積された価値に着目して、革靴を評価していた。


つまり、革靴という製品は、マンションではなくモニュメントになれる。



先月できたばかりの寺社仏閣を誰も有難がらないように、新品ならば、ロブやグリーンでも大した価値がないものなのです。


千年の歴史がある神社を皆が有難がるように、考え抜き履きこまれた古い靴が真に価値があるものなのです。



しかし、実際のところ、多くの人は、まだ革靴をマンション(価値が逓減するもの)だと思っている。


例えば、あるブランドで何回履いたものであればいくらで買い取るかを示す古着屋のリストがあるが、これは革靴をマンションとして捉えている典型例である。


本当は、誰がどのように考えて選び、手入れしてきたかによって、価値が変動するものだ。


もちろんその如何によっては価値は逓減するが、真のコレクターの手にかかれば価値が逓増する。



多くの人が、革靴をマンションだと思っているのは、多くの人が、革靴をマンションにしてしまい、モニュメントにできないからです。


靴の価値を逓増させるのではなく、逓減させてしまう人ばかりだからです。


世の中の大半の靴がどんどんその美を逓減させていくから、多くの人が革靴をマンションだと考えてしまうというわけです。



ジーンズもかつては、マンションだと思われていました。


しかし、そのエイジング手法が認知され、モニュメントにできる人、つまりジーンズの価値を逓減させるのではなく逓増させる人が登場することで、多くの人がジーンズをモニュメントとして考えることができるようになった。


岡山では、街おこしの一環として、漁師やシェフなどにデニムを一年間履いてもらい、それを販売するイベントが開催されているようだが、そこでは新品の二倍以上の価格でジーンズが取引されている。


東欧のコアな靴界では、履きこまれた革靴が新品を上回る価格で取引されることも多々ある。


私もその買い手の1人だ。



現代においても、いかにして革靴はモニュメントになれるのか(いかにして革靴の価値を逓増させられるのか)を論じるメディアはない。


第二第三の『差』を論じるメディアがないのと同じように。


いかにして革靴はモニュメントになるか、いま私が論じよう。




● 価値の逓減を防ぐ。



タンナーにおける革の鞣しにおいては、革の網状層内部に水分と油分を注入し、表面にシリコンやワックスの膜を張る。


革靴を履いていけば、網状層内部の水分・油分は失われる一方で、表面の膜層もミクロレベルで剥がれていく。


つまり、革の健康が損なわれていく。


特に現代では、いくら高い革であっても、昔ほど鞣しに時間と手間をかけるわけにはいかなくなった。


そのため、水分・油分が十分でなく、革が弱いまま流通し、10年もしないうちにクラックが入ってしまう靴が大半になった。


また、鞣しに圧倒的な時間をかけていた昔の革であっても、40年50年と経てば健康状態は悪化していく。



よって、特別なケアが必要になるのだが、日本で広く行われている膜層メンテナンス(乳化性クリームの塗布をメインとするメンテナンス)では、この健康状態の悪化に抗うことができない。


つまり、膜層メンテナンスが一般的である現状では、世の中の革靴の価値は逓減していく。



反対に、網状層メンテナンス(乳化性クリームをサブ的に使い、水分・油分の注入をメインとするメンテナンス)を採用した場合、革の健康状態は維持でき、この価値逓減を限りなくゼロにすることが出来る。


革靴をモニュメントにする、すなわち革靴の価値を逓増させるには、以上のように、まずは網状層メンテナンスによって、価値逓減を防ぐことが前提となる。



※ 膜層メンテナンス、網状層メンテナンスの詳細は同時出品中のディンケラッカーのページをご覧ください。





● 第三の『差』の具体的な内容



価値逓増の方法を説明する前に、革靴に蓄積すべき価値を説明しよう。


つまり、何にゴールを設定して革靴を育成するのか、価値逓増とは革靴が何を得ていく事なのか、という話だ。



工房から出来上がった革靴に蓄積されていく新たな価値を、第二節で紹介した私の友人や私は、『エイジングの魔力』と称してきた。


『エイジングの魔力』とは、造形と色彩の秀逸な濃淡が生む独特のオーラのことだ。


すなわち、柔らかくなあるべきところ堅くあるべきところのメリハリ(造形上の濃淡)と、濃くあるべきところと淡くあるべきところのグラデーション(色彩上の濃淡)である。


この二つの濃淡を美しく帯びた靴というのは、お金で買える靴をすべて揃えてしまった靴貴族をも焦らせるような、夢中にさせるようなオーラがある。


すなわち、革靴の価値逓増とは、このエイジングの魔力を強めていくことに他ならない。




● 価値逓増のメソッド = エイジングの魔力を帯びさせるためのプロセス

 (第二第三の『差』を優位に取るための戦略・技術)




・選別プロセス



市場にある革靴が同一モデル間で『差』(個体差)を持つという事実(第二の『差』)に対しては、コレクターは、主にスタティックな分析が求められる。


つまり、目の前にある靴という物体に、物理的化学的作用を加えた様子を頭のなかでシュミレートする。


そして、将来に良き経年変化がある(エイジングの魔力を帯びる)と予想できるものを選別する。


ある革の肌理の具合、ある縫製の具合を有する個体に種々の作用を加えたらどうなるのかを分析し、その『差』が優位になる個体を選別するのである。(選別プロセス)


このプロセスにおいては、既に論じたように帰納的なアプローチが必要となる。


すなわち、同一モデルを複数回履きこんで観察した事例を幾つも集め、それをリソースにして、個体一つ一つが良き個体なのか導くように判定する。




・育成プロセス



コレクターによる育成によって、『差』が生まれるという事実(第三の『差』)に対しては、コレクターは、主にダイナミックなケア実践が求められる。


シュミレート上ではなく、現実に物理的化学的作用が加わるなかで、最終的なエイジングの魔力の獲得に向かって、諸々のケア手法を適切に、適切なタイミングで実践する。(育成プロセス)


このケア手法は、基本的には網状層メンテナンスをベースにしている。


例えば、乾燥する季節には水分量を増やすといったことや、紫外線の強い日を利用して色彩変化を起こすべく予め油脂を入れておくといったことである。


もちろん、この育成プロセスにおいても、革に対する物理的化学的作用の結果をシュミレート(分析)することは必要で、これから受ける作用への予防的ケアをも行う。


つまり、育成プロセスには、既に加えられた作用への対処的ケア実践と、これから加えられる作用への予防的ケア実践がある。


育成プロセスにおいても、その戦略・技術の獲得は、帰納的にアプローチするしかない。


何足もの革靴を何年も履いて、事例を集め、そのリソースから、日々行うケア実践を導く他ない。




・事前プロセス



以上から分かる通り、価値逓増のメソッドとは、エイジングの魔力の獲得をイメージしながら、分析と実践を積み重ねることに他ならない。(育成プロセス)


その分析は、店で靴を選別する段階から始まる。(選別プロセス)


そしてその分析のための事前準備として、タンナーや工房の経営状況や競争環境を頭に入れておく必要がある。


また、非常に重要な、その他の事前準備として、より出来栄えランクの高い靴("ランクA"の靴)を母集団にして選別を行えるように、バイヤーや他のコレクターとの繋がりを作らなくてはならない。


これらの点で、価値逓増のメソッドは、お店で選別する段階よりも前に始まっているとも言える。(事前プロセス)




価値逓増メソッドは、事前プロセス・選別プロセス・育成プロセスの3つのフェーズで構成されると言えよう。


そのすべてのフェーズの中に、個別具体的な分析と実践が無数にある。


その度に、コレクターは、考え抜き、手をつくす必要がある。


そのアプローチは常に演繹ではなく、帰納であり、幾通りもの事例を積み重ねるしかない。


よって、この戦略、戦略に基づく技術を極めるには、莫大な資金に加えて並々ならぬ情熱が必要である。


価値逓増メソッドの3プロセスを、プロフェッショナルのクオリティで行えたとき、革靴にエイジングの魔力が帯びる。






エイジングの魔力、それが生む幸せ。



哲学的な議論はさておき、われわれの目的は幸せになることである。


革靴もわれわれのQOLを上昇させるものでなくてはならない。



真の靴コレクターは、莫大な資金と並々ならぬ情熱で、帰納的なアプローチのための実例を何百と見る。


その結果、価値逓増メソッドのための戦略・技術を獲得する。


彼による価値逓増メソッドによって、革靴は造形の濃淡・色彩の濃淡というエイジングの魔力を帯びはじめる。



では、エイジングの魔力を帯びた靴を履くと、われわれにとって何が良いのか。


すなわち、エイジングの魔力は、如何にしてQOLを上昇させるのか。



これまで私のコラムでは、有形価値/無形価値という対比的な2つの価値概念を多用してきた。


ここで新たに、対比的な2つの価値概念を2ペア提示しよう。





● 相対化される価値 / 相対化されない価値



・相対化される価値



日本では雑誌等で装飾品を紹介する時、『ステイタスが高い』といった文言が頻繁に登場する。


『希少性が高い』という文言も頻繁に登場する。


だが、ステイタスや希少性を起因とする価値と言うのは、すぐに瓦解するものである。



例えば、ルイヴィトンのモノグラムやジョンロブのロゴは、日本社会において、それが高価なものであることを示す記号として機能する。


そのために、ルイヴィトンやジョンロブはステイタス品となる。


ある人が、これらのステイタス品に価値を感じている(ステイタス品であるとの理由で、それを持つことに幸せを感じている)としよう。


その人は自分が誇っているアイテムを、どこかの富裕層が『高いの頂戴!』と適当に買って、適当に扱っている姿を見た時、それでも彼はまだ幸せでいられるのだろうか。


殊に、『現代が生んだ情報の海』ではその姿を見るのは容易になった。


インスタグラムを開けば、同じアイテムを持っている人が山ほどいる。


かつて流行ったマイナスイオンブレスレットのごとく、ポルトギーゼをいとも簡単に手に入れ、すぐに失くしてしまう富裕層が世界にはゴロゴロ存在している。



ステイタスではなく、希少性に起因する価値を見出す場合も同様である。


井戸の中にいるから希少に思えるだけで、『現代が生んだ情報の海』に入れば、希少性もステイタスと同じように一瞬にして消えてしまう。



ステイタスに起因する価値も希少性に起因する価値も、それを価値あるものとする社会的尺度と、その社会的尺度のなかで劣位にある他のものの存在を必要とする。


ステイタス品としてのロブが価値を持つには、『ロブは高い、リーガルは安い』とする社会的尺度と、リーガルの存在が必要なのです。


他と比べてステイタスがあるからステイタス品なのであり、他と比べて希少だから希少品になる。


すると当然、比べる他のものを増やせば、その価値は一瞬にして消える。


ジョンロブがたくさんある世界を見れば(『現代が生んだ情報の海』を見れば)そのステイタス品としての価値は一瞬にして消える。


(相対化による価値消滅)




・相対化されない価値



革靴のエイジングとは、既に受けた物理的化学的作用に対する個別具体的な分析・実践(対処的ケア実践)と、これから受ける物理的化学的作用に対する個別具体的な分析・実践(予防的ケア実践)の無限の積み重ねの結果である。


無限に繰り返されるこの分析・実践の度に個人の技量や熱意が革靴に反映される。


つまり革靴は、膨大な数の横線を持った巨大阿弥陀くじのなかにあり、それ故に無限の成長パターンが与えられているのです。


その巨大阿弥陀くじのボトムには、エイジングの魔力を帯びるか、帯びるならどのように帯びるのか、あるいは朽ちてしまうのか、といった無限の結果がある。



革靴は、属人的な施しを無限回数加えられた結果、(注.良くも悪くも)何億円かけても二度と再現することができない唯一無二の様相を持つのです。


そして、この唯一無二の様相に美があるとき、エイジングの魔力を帯びていて、革靴上で価値逓増が起きていると言えよう。



この逓増した価値は、それが成立するために、社会的尺度や、劣位の他のものを必要としない。


『あちらよりこちらの方が、エイジングの魔力を持つ』という具合に比較することがあっても、『あちら』も『こちら』も、お互いどちらか片方が消えたとしてもその価値を失わない。


エイジングの魔力は唯一無二性を持つため、『現代が生んだ情報の海』にも同じものなど存在せず、井戸を出て大海に出たからといって、価値が消滅してしまうということもない。


つまり、エイジングの魔力の価値は、その唯一無二性ゆえに相対化されない価値なのだ。



【注.良くも悪くも】


当然ですが、履きこめば必ず良くなるわけでは御座いません。

履き手に、戦略・技術がなければ、あるいは履き手の戦略・技術が優れていなければ、巨大阿弥陀くじの結果として、革靴が悪くなることもあるのです。

つまり、価値逓減の可能性も多いにある。

そして、3つの『差』や価値逓増メソッドの3プロセスについてアナウンスメントが全くないため、世の中の大半の靴は価値逓減していきます。

現状では、巨大阿弥陀くじのボトムにある結果の99.9%が、"当たりではないもの" になっていると言えましょう。




ある靴をステイタスによって欲する場合。


同等のステイタスを持つ靴など、世の中に溢れているため、その靴は今すぐにでも手放して良い。


ある靴をエイジングの魔力で欲する場合。


同じ美を持つ靴は他に一切ないため、その靴は、仮にスタートトゥデイの前澤氏並に成功して、もはやステイタスを誇示する必要性がなくなった場合でも、手放すことはできないだろう。



お金で買えるものなら全て手に出来る靴コレクターでも、自分には出せないエイジングの魔力を帯びた靴に出会った時には、焦燥感を覚え、ワードローブに不足感を覚える。


それはその靴が、絶対的な価値を持つからである。




● 個別的価値 / 非個別的価値



革靴の価値というのは、再現可能な価値と、再現不可能な価値からなる。


履き下ろし前(正確には選別プロセス開始前)に既に存在している価値は、ほとんどすべて再現可能である。


つまり、メーカーが生む価値は、ほとんどすべて再現可能である。


ここで『ほとんどすべて』と言ったのは、何億円のリソースをつぎ込んでも、もう二度と実現し得ないクオリティのヴィンテージ靴等も存在するためです。


しかしそういったものは、現代の靴界では稀な例であるため(私は、そういった稀な例を、稀であるからこそ厳選して出品しているのだが)現実的には『すべて』と考えて良い。


なお、現代の英国靴米靴メーカーが生む価値は、すべて再現可能な価値である。



一方、履き下ろし後(正確には選別プロセス開始後)から付与されていく価値は、そのコレクター当人以外は勿論、そのコレクター当人でさえ再現不可能である。


前述の通り、革靴は膨大な数の横線を持った巨大阿弥陀くじのなかにあり、それ故に無限の成長パターンが与えられているのだ。


この結果として、エイジングの魔力を帯びるとき、その価値は再現不可能である。



再現可能であるならば、唯一無二ではなく、個別性がない。


再現不可能であれば、唯一無二であり、個別性がある。


再現可能な価値を非個別的価値と定義し、再現不可能な価値を個別的価値と定義しよう。


工房から革靴が出てくるまでに革靴が持っている価値は、ほとんどすべて非個別的価値である。


選別プロセス開始後(選別されて、プレメンテナンスされて、履きこまれて...というプロセスが始まって以降)に革靴が新たに持ち出す価値は、すべて個別的価値である。


つまり、メーカーは主に非個別的価値を生み、コレクターは個別的価値を生む。




● エイジングの魔力が生む喜び



非個別的価値(再現可能な価値)で、ものを選ぶとき。


同じ価値を持つものは世の中にたくさんあるため、相対化による価値消滅が起こりうる。


そうなれば、それを所有することから得られる幸せも消える。


すぐに消える幸福のために多額のキャッシュを支払うなら、QOLは大幅に下降しうる。


高いものを買って、不幸になるという事態に直面しうる。


例えば、ロレックスを買ってウキウキしていたのに、誰かが同じものを持っているのを見て萎える。そこでまた自尊心が傷ついて、無謀な散財をしてしまう。

世の中にはそんな人も多いですよね。





だが、個別的価値(再現不可能な価値)で、ものを選ぶ時。


それと同じものは、『現代が生んだ情報の海』にも一切ないため、相対化による価値消滅が起こらない。


その価値は絶対化する。



ここ以外、世界のどこにもない、それ故に消滅しない絶対的価値がワードローブにある喜び。

ここ以外、世界のどこにもない、それ故に消滅しない絶対的価値が自分の身体と一体になる喜び。




こんな喜びを与えてくれるものが、エイジングの魔力を帯びた革靴以外にあると言えようか?


革靴程に、個別的価値(再現不可能な唯一無二の価値)が付与される余地がある製品は他にないため、この喜びを与えてくれるのは、エイジングの魔力を帯びた革靴以外にはない。




● 形ある幸せ、ノード・シューズへ。



エイジングの魔力は、形ある幸せをも生む。


私も皆様と同じように、街に出かけると(特に東京では)色んな方から、『いい靴をお履きですね』と言われるものである。


これは靴好き同士の挨拶のようなものである。


だが、『いい靴をお履きですね』の意味は一定ではない。


『いい靴をお履きですね』は、日本語の『すみません』のように、文字に書き起こせば同じものでも、コンテクストや発言者の表情によって多様な意味を持つ。


例えばこの言葉は、ホテルマンやセールスマン等による販促目的の『媚び』の言語表現であることが多いだろう。



私がエイジングの魔力を帯びた靴を履いている時に伺う『いい靴をお履きですね』は、『媚び』とは全く別の意味を持つ。


その響きには、例えば珍しくて美しい蝶を見せられた少年が発する言葉と似た響きを持つ。


そして、その後に続く言葉は、『××(ブランド名)です』という言葉を発する機会を与えるためのアシストとしての言葉、すなわち『どこの靴をお履きですか?』ではない。


『どうやったらそんな靴になるんですか?』『どうやったらそんな靴が手に入るんですか?』といった言葉だ。


つまりは、エイジングの魔力を帯びた靴を履いた者に発せられる『いい靴をお履きですね』は、本当に靴に興味を持った者からの『関心』の言語表現なのだ。



関心が生まれるのは、エイジングの魔力を帯びた靴が、再現不可能で個別的(唯一無二的)であるからだ。


『現代が生んだ情報の海』を見ても、同じ靴がないからだ。



かつてならば、単なる高価なだけの靴でも関心の対象になり得た。


だが、それはもう『現代が生んだ情報の海』に溢れ、毎日インスタのタイムラインに流れてくる。


関心の対象としてどんどん力を失いつつある。



それとは対照的に、エイジングの魔力を帯びた靴、それと同じ靴は『現代が生んだ情報の海』にさえ存在しない。


全てのものがタイムラインにある今だからこそ、唯一無二のものは強力な関心を生む。



そして、この強力な『関心』から始まるコミュニケーションでは、われわれは、ものに対する考え方、ものに対する愛情について相互に理解し合う。


ひいては、お互いの人となりを分かち合うのである。


エイジングの魔力を帯びた靴を起点にして、お互いの人となりを分かち合うのである。



すなわち、エイジングの魔力を帯びた靴は、人と人を結ぶ、いわば "ノード" となるのだ。


それこそ、エイジングの魔力が生み出す、形ある幸せだ。






【ここまで全体の要約】



革靴には、モデル間の『差』、同一モデルの個体間の『差』、コレクターによる育成の巧拙の結果生まれる『差』がある。


3つの『差』を意図的に優位に取るには、事前・選別・育成から成るプロセスで、戦略と戦略に基づく技術が必要だ。


その戦略・技術をプロフェッショナルに実行するとき、革靴にはエイジングの魔力(色彩の濃淡・造形の濃淡)が付与される。



このエイジングの魔力は、個別的価値(再現不可能な唯一無二の価値)と言える。


エイジングの魔力は、属人的な分析・ケア実践が無限に積み重なって生まれたものだからだ。(巨大阿弥陀くじの結果だからだ。)



エイジングの魔力は、個別的価値(再現不可能な唯一無二の価値)ゆえに、『現代が生み出した情報の海』でも、相対化による価値消滅が起こらない。


この絶対的な価値が生む喜びは、何物にも代えがたいものである。


そしてエイジングの魔力は、個別的価値(再現不可能な唯一無二の価値)ゆえに、『関心』の言葉を生み、それが真のコミュニケーションの起点となる。





靴好きの至福のために、これまで私が出品してきたコレクション。



● 価値逓増プロセス全体における重要性の傾斜



『網状層プレメンテナンスを施した旧/初期ディンケラッカーが創造する "渦"』において、革靴に対する影響の非対称性故に、プレメンテナンスと履き込み初期のメンテナンスは、その後の通常のメンテナンスよりも、その重要性が極めて高いことを述べた。


同じダメージでも、履きこみが少ない段階であるほど、それがもたらす悪影響は大きい。


同じ栄養分補給でも、履きこみが少ない段階であるほど、それがもたらす好影響は大きい。


だから、より強い悪影響から靴を守るために、そして初期の吸収効率の高さを利用すべく、プレメンテナンスや履き込み初期のメンテナンスは、その後の通常のメンテナンスよりも圧倒的に重要性が高い。



この論点は、事前・選別・育成プロセスの、育成プロセス内の話だ。


すなわち、育成プロセス内で繰り返される分析・ケア実践は、それがプロセス序盤であればあるほど、その重要性が高いということである。


そして、プレメンテナンスに限らず、靴が若い段階でなされるメンテナンス(分析・ケア実践)は、影響の非対称性故に少しの失敗も許されないハイリスクなものである。


よって非常に高度な戦略・技術を必要とする。



また、事前・選別・育成プロセス全体においても、序盤で求められる戦略・技術は極めて高度になる。


例えば、事前プロセスにおいて、"ランクA" の靴を手にするためのバイヤーや他のコレクターとの繋がりを持つ必要があるが、それを一般の靴好きが直ちに実現するのはほとんど不可能である。


また、選別プロセスにおける第二の『差』(個体差)の取り方の失敗は、いかなる手段によっても修正することはできない。


ケアの失敗(育成プロセス後半に限る)はリカバリーできるケースも多いが、悪い個体を選んでしまい、それを後から良いものへ変えるのは完全に不可能だ。


つまり、育成プロセスが『プレメンテナンス → 履きこみ10回 → 履きこみ20回...』と進むなかで、前半に求められる戦略・技術ほど高度かつハイリスクになるのと同じように、価値逓増プロセス全体が『事前 → 選別 → 育成』と進む中においても、前半(事前・選別プロセス)に求められる戦略・技術ほど高度かつハイリスクになる。




重要性がプロセスの前半に傾斜しているという以上の観点から、前半の段階を終えた靴を皆様にお譲りするのがベストだと言える。


具体的には、私が事前・選別のプロセスを実施し、プレメンテナンスまでの育成プロセスを実施した靴(プレメンテナンスを施した靴)や、そこから少し履いた靴(新品から20回程度履き、ハイリスクな段階のメンテナンスを終えた靴)をお譲りするのがベストだと言える。


そうすることで、プロセス前半の極めて高い価値逓減リスクを無くしつつ、エイジングの魔力を帯びた靴を自ら作る体験を皆様に味わって頂けるのです。


つまり、私がある程度の個別的価値を付与した後で、皆様が個別的価値を付与していくというわけです。


こういった考えから、これまでは、履きこみ20回までの靴を中心としたセレクトを行って参りました。






靴好きの至福のために、これから私がすべきこと。



ワードローブに絶対的価値がある喜び、絶対的価値と身体が一体になる喜び、そして真のコミュニケーションの起点としてのノード...


やはり、至福のためには、エイジングの魔力、個別的価値を付与された革靴を履かなくてはならない。



それならば、着用20回までの靴だけではなく、もっと履きこまれた靴、エイジングの魔力を帯びきった靴の出品を増やすべきではないか。


このようにお考えの方もいらっしゃることでしょう。


それに、皆様がこれから価値逓増のプロセスを始めるにあたって、エイジングの魔力を帯びきった靴は、帰納的なアプローチにおける一つの重要なケースになる。


言い換えるなら、これから靴を育てる上で、そして真の靴コレクターになる上で、一つの指針となる。


この点でも、エイジングの魔力を帯びきった靴を出品すべきと言える。



だが、その唯一無二性ゆえに、何でも買えるようになった今でも、エイジングの魔力を帯びた靴を手放す決心はなかなか出来ないものです。


それに、履きこまれながらも、清潔と言い切れるものをセレクトするのは難しいという事情もある。


殊に、日本の皆様が持つ清潔さの基準値が、我が国の人々が持つそれと比較して極めて高いことを考慮すると。



エイジングの魔力を帯びきった靴も、もっと出品すべき。


だが、それは難しい。


そんなジレンマのなかでこれまで活動してきたのです。



しかしながら、いくら唯一無二性故に手放せないとはいっても、誰かがそういった作品を世に送り出さない限りは、世の靴好き達が帰納的なアプローチにおける一つの重要なケース(つまりは指針)を得る機会がなくなってしまう。


ひいては、真の靴コレクターが生まれない。


そうすれば、世の中から良い靴が消える可能性もある。



そこで私が、当コラムにおいてエイジングの魔力を帯び切った作を出品したいと思う。


そして、今後は、履きこまれた作品の出品を可能な限り増やしていきたい。






個別的価値を追求し、履き手が芸術家たりえること、それが革靴趣味の神髄と言えよう。



無限回の属人的な施しを経て生まれるもの、それは唯一無二で、その様相に美を見出すとき、その美は絶対的だ。


こんな美を作るのは、他に芸術家しかいない。


いや、この言葉は間違いだ。



われわれ靴好きは芸術家なのだ。


何かを愛用し、芸術家になる。


その "何か" になれるのが、革靴である。



個別的価値を追求し、履き手が芸術家たりえること、それが革靴趣味の神髄と言えよう。


本当の意味での、革靴趣味だ。


これに目覚める人々が集結している場こそ、当コラムだと私は考えている。


日々ご覧頂いている皆様のために、私が出来ることをこれからも考えていきたい。


本当の意味での革靴趣味が存在し続けるために。





■ サイズ



8D


UK7から7.5程度に対応するサイズ感です。


日本で手に入るラストでしたら、UK6.5相当からUK8相当まではほぼ所有しております。


ですので、普段お履きの靴のサイズを質問よりご教示いただければ、可能な限りアドバイスいたします。





■ コンディション



エイジングされていますが、芸術作品を作るイメージで履かれたものですので、清潔感はあります。


もちろん革の健康状態は優れており、その他の大きなダメージもございません。





■ ご注意事項



・革製品ですので、文章や画像で表現しきれない皺、傷やざらつき等はあります。しかしながら、致命的なダメージは絶対に記載致しますのでご安心頂ければと存じます。


・出品にあたっては目視での検品の他、30分から60分のテスト歩行を行います。『致命的なダメージ』とは、このテスト歩行で発見できるものを指します。


・私の靴に限らず、古靴で接着層がある場合、経年で接着剤の力が弱くなっているケースがあります。


・黒以外の靴ですと、ご覧になる環境で色の表現が微妙に異なる点をご了承ください。


・どんな些細な事でも気になること(特に状態とサイズ、色につきまして)はご質問下さい。誠心誠意対応いたします。


・特段の記載がなければ、靴本体以外の付属品はありません。付属品がある場合は記載いたします。


・ご質問者様、ご入札者様、すべて靴を通じて知り合った大切な友人でもあると考えております。そのため、人的な対応を心がけています。しかし、若い方はお忙しいかと存じますので、お気になさらずに宜しくお願いいたします。





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