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埒孝美作「導きの三鈷杵」 純銀製24金鍍金 伝説の密教法具

商品説明

[ 翻譯 ]
  • 重要文化財・飛行三鈷杵(弘法大師空海所持・高野山金剛峯寺蔵)写し
  • 埒孝美作
  • 純銀(SV925)製 24金鍍金 全長:二寸半(約75mm) 重量:約35g
  • 携帯に便利な巾着袋付
  • 清祓および開運祈願のうえお届けします


本作品のモデルである「飛行三鈷杵」(重要文化財)は、弘法大師空海が唐で授かり、日本に請来したものです。 

伝説によれば806年(大同元年)、空海が「密教を広めるのにふさわしい地に導かれますように」との願いを込めて飛行三鈷杵を投げると、東の空に飛んでいったといいます。そして816年(弘仁7年)、高野山の「三鈷の松」にかかっているのを発見し、この地に真言密教の道場を開いたといわれます。 

実はこの三鈷杵こそ、密教の頂点に立つ者が代々受け継いできた特別の法具だったのです。その歴史は空海の時代からさらに数世紀さかのぼります。『龍馬がゆく』などの名作で知られる日本を代表する歴史作家・司馬遼太郎の文を引用します。

「あらたに密教正嫡の阿闍梨の位についた空海が、正嫡の阿闍梨として持たねばならぬ付属品がある。日本の天皇家の例でいえば皇位継承のしるしである三種の神器のようなものであるといっていい。八種あった。この八種はインド僧金剛智が南インドから唐に渡ってくるとき請来したもので、それが相続の印可として金剛智から不空に伝えられ、不空から恵果に伝えられ、恵果から空海に伝えられた。恵果から空海に伝えられる場合、海を渡ってしまうため、唐にはもはや密教正嫡を証明するこの八種のしるしは存在しなくなる。このことを思うと、恵果が空海に相続させたという事柄そのものが尋常でないことがあらためて知らしめられる」
司馬遼太郎(1978)『空海の風景(下巻)』


空海は飛行三鈷杵を真然(804~891)に授け、その後中院別当、定観、雅真、仁海と伝わり御影堂に奉安されていました。1088年(寛治2年)白河上皇が持ち帰られ1世紀以上ご皇室が保有されていましたが、1253年(建長5年)高野山に戻っています。現在は高野山の至宝として厳重に保管されています。滅多に公開されることはありません。 

弊社では原型師として名高い埒孝美師に依頼し、この伝説の三鈷杵を二寸半で格調高く再現いたしました。材質は「富貴を求めば、純ら銀で作れ」という蘇婆呼童子経の教えに従い純銀(SV925)を使用し、24金鍍金で仕上げました。805年(延暦24年)に空海が授かったときそのままのような美しい姿。「導きの三鈷杵」はたいせつな宝物になることでしょう。 

蘇悉地経は三鈷杵の力として「是善成就者」「能成諸事」「悉能成就諸余事等」と明記しています。これを現代的な表現に直すと、あらゆる願いを叶え、仕事を成功させる、となります。人生は様々な出会いと選択で形作られますが、正しい方向に導かれたいとき「導きの三鈷杵」は心強い御守りとなることでしょう。


★ ノーベル賞作家・川端康成が愛用

ノーベル文学賞を受賞した川端康成も三鈷杵を所有し、文鎮として愛用していました。『川端康成全集』第三巻(昭和44年刊行)の口絵には愛用の三鈷杵の写真が使われており、川端自身が解説で、

「金剛杵はもとはインドの武器であるが、密教の法具となつた時は、象徴的な形を取つて、煩悩の賊を討ちほろぼす具とした。<略> 杵や鈴を身邊におき、机上に使つても、それらの法具の心はなんとなく通つて来る」

と書いています。あの美しい川端文学を導いたのは三鈷杵だったのかも知れません。

古美術に造詣の深かった川端は随想集「月下の門」の中で次のようにも述べています。

「古美術、あるひは骨董といふものは、最もいい時代の、最もいい作家の、最もいい作品を、これが私に與へられた教訓である。三流品や四流品でも『楽しめる』とよく言ふが、楽しめるでは趣味や道楽で、楽しめるにとどまるだらう。いいものに出会ふと自分の命を拾つた思ひがある」

「導きの三鈷杵」は生まれたての新品ですが、現代最高峰の原型師が心血注いで作り上げた逸品です。川端康成にプレゼントしたら、きっとにっこり微笑んで喜んでいただけたと思います。

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