■ ポット ★★ フラクタルの森 玄明 ■
- 數量1
- 開始時的價格 100日元 (0.77美元)
- 下標數目 15
- 最高價下標者 3*c*7***
- 開始時間(日本時間)2022年 5月 19日 18時 42分 34秒
- 完結時間(日本時間)2022年 5月 23日 21時 42分 33秒
- 現在的日本時間2022年 6月 25日 16時 27分 23秒
- 提早完結
當【提早完結】處顯示【有】時,說明賣家可能會在預定的結標時間之前手動結標。手動結標時的最高下標者即為該次拍賣的得標者。
有 - 自動延長
拍賣有設定自動延長時,只要在拍賣結束前5分鐘內拍賣價格再次提高時,拍賣結束時間將會自動延長5分鐘。自動延長的次數沒有限制。
有 - 拍賣IDx1052005485
- 商品的狀態未使用
- 下標者評價限制
當賣家對下標者進行評價限制時,只有得到的評價數達到一定要求的下標者才可以下標。因此,會有無法下標的情況存在。
有 - 負擔運費得標者 按此查看詳情
商品説明
サイズ 胴径 約 11,1 cm × 全高 12.2 cm
※ コーヒーポット、水さし、急須としてもお使い下さい。
蓋が滑り落ちないように工夫しています
土から器を作り続け 作りながら考えることが有る
この器がこの世に生まれ出るために一体何が必要なのか
その必要十分条件とは何かと
一つは、
生まれるためには、作ろうとする作者の思いか
誰かの作って欲しいという願いが不可欠だ・・・陰(思い)
そして、
作り出すため様々な具体化のための努力が必要になる・・・陽(行い)
偶然に出来上がることなどあり得ない
粘土が有り薪が有れば様々なことが重なって偶然に器らしき物が出来て火に焼かれ
それが次第に適者生存し、自然淘汰され、進化して、端正な器になっていく事など不可能なこと
まして、生き物の場合
その精緻さ故に比較になろうはずも無い
しかし、私も、昔は、無機物と違い有機物だから
自然に合成され偶然に出来ることも有るのだろうぐらいに考えていた
今考えれば、まるでカルト教の如く信じ込まされていた
考えることさえ出来れば、そんな事などあり得ようも無いことは理解できる
しかし、思考停止、エポケー、思考放棄
未だNHK始め世間は信じているようだが
その罪には大きなモノが有る
ダーウィンの進化論は、愚かな理論
陽(ハウツー)の部分しか観ていない
設計図(陰)も無く完成するモノ(陽)など何もないというのに
生物に遺伝子というDNA、命の設計図が有るという事は知られている
ということは、設計者が居るということ
ただ、宇宙人が創ったという説も
唯一絶対の神が全てを作られたとする考えもどうかと思う
陶芸作家にも色んな個性が有り
色んな器が焼かれるように
色んな個性の神々がおられるのだろう
おそらく、その神々を創られた主なる存在も在るのだろうが
そんなことまでは分からない
素直に分からないことは分からないと認めるべきなのだ(無知の知)
ただ、推定できることは
いろんな陶芸家が器達に願いを込めて作り出すように
神々も願いを込めて私たちを産み出しておられるのだろう
どんなに民族が違っても
どこに住んでいようとも
どんなに文化が違い
宗教が違っていようとも
確かに同じモノが その内には有る
共通した思いが心の中に刻み込まれている
神性、仏性、良心とも言えるモノだが
心の奥に確かに有る
お役に立ちたいと願う心
その存在意義とも関わり
その幸福感とも関わるものがインプットされている
お役立ちの結果、評価とか報酬とか生まれては来るが
その見返りが無くても、心は豊かになる
心の充足感がある
おそらく
創造された神々の願いと同じモノが我々の内に刻み込められているのだろう
そして、神々と同じ力で
様々なモノを産み出してもいるのだろう
全ての存在には、どんなに小さくてもその願いが込められている
作られている以上、器たちにも願いが込められているように
私たちの心には
何らかに貢献し
役に立ちたいという願いが込められている
その意味を考えること無く
表面的な結果ばかりを求めて
生きることのむなしさを
多くの人は、知っているのだろうか